よみびと知らずの手記

日々云いたくても云えないような事や個人的な趣味等を、誰を気にするでも無く放言していくブログです。

優柔不断なの。改善したい私の短所。

私は優柔不断だ。

昔から自信がなかった。

間違ったらどうしようとか、

それで嘘つきだなんて思われたりしたら嫌だなって思うと、

勝手に萎縮して口ごもる。

できるものなら、誰かの後ろに身を隠す。

息を殺し、時が過ぎるのをじっと待つのである。

存在を探知されまいと気配を断つ能力は、ステルス戦闘機すら凌ぐやもしれない。



大人になって、自分のそういうところを改善したいと思い、色々と考えてみた。

優柔不断に陥る原因を自分の生来の性格の外に求めるなら、何が考えられるのか。

すると、判断に困るのは、判断するだけの確信が持てないからだと思った。

では、どうすれば確信が持てるようになるのか。

確信とまではいかなくとも、十分な自信を得るにはどうすれば良いのか。

考えた。

すると答えが見えてきた。



それは、知識と経験の不足による判断材料の欠乏である。



だから、知識と経験を蓄積することによって判断材料を増やしていけば、判断に迷わなくなるに違いない。


では具体的にどのようにすれば良いのか。



まずは知識を獲得する場合である。

判断の必要があることに関して、本やインターネットを駆使して徹底的に調べあげるのである。


例えば、使い方の分からない家電を使う場合。

初めて使うそれは、どこのボタンを押せばどのような動作をするか分からない。

そこで、取り扱い説明書を見るのである。

そこには丁寧にその家電の概要から操作方法、果てはケース別の故障時の対象方法まで示されている。

これにより、家電を扱うのに必要な知識を獲得でき、望む結果を得るための操作の判断ができる。



次に経験を獲得する場合である。

仮に取り扱い説明書が無かったとしても、似たような家電を触った経験を持っていたとしたらどうだろう。

その経験から、どのボタンを押せばどのように作動するかを、無知であるより高い精度をもって、推測することができる。

知識と経験を積み重ね、判断材料を増やしていけば、それらに基づき判断がつくのである。

優柔不断であることは、常に悪い訳ではない。

それが重大な欠陥を引き起こす、或は他者に迷惑をかけるからこそ、短所になるのだ。

だから、自分だけに関係すること、例えば服を選ぶ、といった事で優柔不断になるのはいっこうに構わない。

時には優柔不断であるがために、行動が遅れて助かるような事もあるかもしれない。

稀なケースかもしれないが。


まぁ、判断力は身につけておいて損はないと思う。

いざとなったときのために、今から準備をしておくのもいいだろう。

なぜって、人生は決断の連続だから。