人の言葉
人が何かを言うとき。
人は主観で物を言う。
客観的事実をもとに話していたとしても、完全なる客観性というのはまず有り得ない。
人は、その人がこうなって欲しいという願望や思い込みといった主観で話すものだ。
それはそうだろう。
その人の意識というバイアスを経ているのだから。
だから、人によって言っている事が違うという事態が往々にして起こるのである。
そのため、何が本質で最良かを見定める思考力が必要となる。
人の言葉を鵜呑みにしてはいけない。
それがどんなに近しく親しい人間の言葉であろうとだ。
彼らの言葉を鵜呑みにし行動したとして、その行動の責任は、行動した自分自身に帰属するのである。
親身になって語る彼らには、本当の意味で責任を取りようがないのだ。
また、彼らの言葉を鵜呑みにすると決断したのは自分自身なのであるから、その決断の責任を彼らに求めるのは身勝手だ。
自分の人生、自分のものである。
他者の存在無くしては生きられない世の中であっても、所詮は他人である。
だから私は謙虚に、そして傲慢に生きようと思う。
傲慢といっても、それは横柄であることとは違う。
態度ではなく、意志を貫徹するという点において、時には自分の意見の方が優れているとして他人の意見を切り捨てる、という意味である。
こんな事を考えていたら、ふと寂しくなった。
普段使わない頭を使ったから、少し疲れたのかもしれない。
今、クーラーで冷えた部屋で、温かいお茶をすすっている。
このお茶の茶葉は、誰かの手によって摘み取られ出荷された物なのだろう。
体が温まるのを感じた。